📓 『カタカムナ』 全80首の意味−第64句の解説


『カタカムナ』 全80首の意味−第64句の解説


『カタカムナ』第64句は、『生活の知恵・食べ物確保編』に見せかけた、人生訓と、神々への願い方のお話です。


驚き 『生活の知恵・食べ物確保編』に見せかけた?


実はこの句、現代の本のように『たとえ話』を駆使しながら、『神々への正しい願い方』を解説しているのですが……

この構成って、見た目以上にスゴいことなのです。

『カタカムナ』が書かれた年代って、和歌を詠み合っていた平安時代後期なので、『源氏物語』や『枕草子』や『徒然草』とほぼ同時期……。

そのような中、なぜ現代の本のような『たとえ話』を駆使した解説手法を知ってるいるのか??

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。 『カタカムナ』第64句の解説

『カタカムナ』 全80首の意味−第64句の解説   📓 【原文】
 。 『カタカムナ』 第64首 

ヤハマカシ ソレツミ アメノセヲ キネ アキ タマ コメ カムナガラ…… ワクツミ ヒトヨヤシ アナミ ワク アナミ コロ アメノトヨセ ツミ アメノヨロツ ミナカノオホカミ

 【漢字に直すと?】
  『カタカムナ』 第64首 

8月は蒔かし れ摘み 雨の背(台風) を木根きね 秋 たま 米 惟 神かむながら…… 枠摘み 人をやし 阿那あな見 枠 阿那あな見 頃 あめの遠世 摘み あめよろつ 天之御中主神の大神みなかのおほかみ

 ※ 阿那アナ……(アナタという意味ではない)

「イトおかし」・「アナたのし」のような    文脈で使われる、強調語。

 🔎 【この句の意味は?】
  『カタカムナ』 第64首 

旧暦の8月(現代の9月)は、収穫の時期ヤハマカシ ソレツミ 雨の背(梅雨)の間、栄養を蓄えアメノセヲ キネ続けた結果 秋には稲穂が実り、米の大収穫アキ タマ コメ 天之御中主神の言う解説カムナガラは…… 人もまた、これと同じワクツミ ヒトヨヤシ 何かに成功する人は、その前アナミ ワク アナミ コロ風雨に耐えながら、努力を続けアメノトヨセ ツミていた それは『高天原の神々への願い方』アメノヨロツも同じ 今回は天之御中主神の大神ミナカノオホカミが 神々を代表してそう教えてくれた

今回は、私自身も意味が分かりません。 分からないのは、文意ではなく、その文章の中身のほうなのですが、 風雨に耐えたあと、収穫期となる。人生もまた同じ。 ここまではわかる。分からないのはその後! それは、『高天原の神々への願い方』も同じである 天之御中主神の大神が、神々を代表してそう言っている   ・    ・  一回で願いがかなうと思うなよ! 若造! と、神の試練のことを指しているのか、はたまた別な意味なのか? ……ということで、自力ではいくら考えても、『推測』止まりで『答え』までは届かないので、神様自身に解説をお願いしてみました。 だんだん、教わり方も上手くなってきました。 神様にただきくだけでは教えてもらえませんが、うまい質問の仕方がなんとなく分かってきた。 以下は、神様本人による解説です。   ・    ・ 

。 『カタカムナ』第64句の解説

  『カタカムナ』 第64首 

旧暦の8月(現代の9月のこと)は、収穫の時期 雨の背(梅雨や台風) の間中、風雨に耐え、栄養を蓄え続けた結果 秋には稲穂が実り、米の大収穫 天之御中主神の言う解説は…… 人もまた、これと同じということ。 物事が成就し、成功をなしえる人は、実はその前に 風雨に耐えながら、成功への努力を続けていた それは、『高天原の神々への願い方』も同じである 天之御中主神の大神が、神々を代表して、わざわざそう教えてくれた

前半の訳に関しては、その通りだ。 旧暦のことまで、よく気づいたな。 もっと言うと…… 昔の日本は、今の気候と少し違うので、秋は今より早めに訪れた。 わかりやすく言うなら、『夏の終わりは、冬の始まり』 夏の終わり頃から、朝晩の冷えは、一日ごとにハッキリわかる変化になるような気候だった。 (稲穂とは、『稲の種』なので、種を地面に触れさせるために、寒くなったらすぐ稲は弱る) そのため、モタモタしてると急に作物が弱るので、収穫は人手をかけて、総出で一気に行わなければならなかった。   ・    ・  人の人生も同じ! という部分は、ついでに例えたモノで、この句の重要なところは、その先にある。 まさに質問にあった、 『高天原の神々への願い方』も同じである〟とは何を指すのか? それについては、人々が何ごとにも結果を急ぎすぎる背景がある。 そこに対する注意だ。

 ・ 努力をしたら……すぐに結果をほしがる  ・ 仕事をしても……すぐに成功をほしがる

それが神頼みにも当てはまるのだ。 この句は、当時の人々に書かれたものだが、現代人から見たなら、はるかにのんびり過ごしていたあの時代の人々ですら、神から見れば 「アンタさん、結果を早く求めすぎではないですかい??」と感じていた。
草木にとって大事なのは、「根」 人間の成長において大事なのも「堪え忍ぶ期間」
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」ではない。 すぐに芽が出ないからといって、踏みつぶしてしまってはいけない。 なかなか芽が出ないように見えても、地中にはすでに変化があるのだ。 根が伸びて、今後のために、実力を蓄えてる最中なのだ。
見えないところにこそ本質がある!
だから、神に願えばまるで魔法にかけられたように、かぼちゃの馬車が現れて、舞踏会に勝手に連れて行かれ、王子に一目惚れされ、後日、王子からストーカーのように追いかけ回される…… という妄想ストーリーを皆思い描いているが、違うのだ。 神が手を施すのは、アナタの「根」に対してだ。 もう一度言う!
神が手を施すのは、アナタの「根」に対してだ。 葉や花ではなく、アナタの「根」に対して手を施している
神によって、「ステイタス」が1.5倍に強化された。 目には見えないが、今までの1.5倍になる強化アイテムを受け取った!! 努力をすれば、結果がついてくる「根」に変わったので、あとは自分次第!!   ・    ・  そのように援護したのに、「神様に頼んだから、もう安心」と逆に手を抜いてしまっては、何も起こらないのは当たり前ではないか! 自分の人生、自分の足で歩かなくてどうする? 他人に背負って運んでもらうために、生まれてきたのか??   ・    ・  キーワードは…… 天は自ら助くる者を助く! だ。待ってるだけでは何も起こらぬぞ。 そのかわり、神に会いに来た者には、〝望み通りのモノ〟を渡している。目に見えない宝を。 今後の人生は、自分の努力がカタチになる! という宝を!! NEXT『カタカムナ』 全80首の意味−第65句の解説




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